新宮山彦ぐるーぷの紹介

 

 新宮山彦グループは昭和49年(1974)4月28日に発足した。趣旨は「山を歩いて自然に親しみ、体験を
通してモノを考えよう」で、入会金、会費、会則ナシ(但し、山行、行事毎に必要経費を徴収。作業は無料を建前)。これらの参加は自主目的で、以来38年間活動を継続して現在に至っている。


 昭和59年(1984)から従来の登山一辺倒より、奥駈葉衣会を主宰して亡くなられた前田勇一氏の遺志である「さびれた大峯・南奥駈の道をよみがえらせ、日本古来の精神文明を見直そう」に共鳴して、荒れ果てて通行不能となっていた太古ノ辻〜熊野本宮間の刈拓きを、修験行者の千日回峰行になぞらえて、“千日刈峰行”と銘打ち、
三ヵ年、47名が24回の出動(延315日)で貫通した。


 スズタケを主とした竹の繁殖力は旺盛で、一巡した刈址にはこれらの芽が吹き出ており、二巡目として足かけ
2年、40名が延174日で再整備したものである。


 「道は良くなったが、玉置神社から持経宿は遠過ぎて一日行程としては歩けない」と言うこととなり、これでは
前田翁の遺志は顕現出来ず、万難を克服して佐田ノ辻(十津川村と下北山村の境界)に行仙宿山小屋を敷地造成の上、建築(平成2年6月完成)し、併せて倒壊寸前の平治宿山小屋も翌平成3年(1991)改築して持経・平治・
行仙の三山小屋を管理することとなり、従来の山行オンリーから軸足をこれら山小屋と南奥駈道の管理整備に移さざるを得ず現在に至っている。


 我々の永年に亘る活動に対して各方面より可成り高い評価を受けることとなったが、その一例として


【その一】:平成16年(2004)紀伊山地の霊場が世界文化遺産に登録された折り、大峯修験の道が組み入れられたのは我々の南部の開拓と山小屋建築が高く評価されたと聞いている。


【そのニ】:右に関してシチズン社より平成17年、シチズン・オブ・ザ・イヤー賞を贈られ、賞金百萬円を頂いた。


【その三】:小泉内閣の財務大臣として構造改革に大変貢献された塩川正十郎先生が平成

19年(2007)、山彦にご加入下さり、名誉会長として推戴させて頂いている。先生より毎年10万円の特別
会費を頂いている。

 


 南奥駈道の貫通と山小屋建設が相まって修験各教団や個人修行者、並びに意欲のある登山者も随分と分け入って来られるようになったが、積極的、意欲的な方が多く、それらの方々との交流、触れ合いから随分と多くのことを学ばせて貰い、奉仕活動は他人にすると同時に自己にとっても大変有意義となることを学んでいる。

 新宮山彦ぐるーぷはこれら諸行事はすべて強制するものではなく自発的な参加を建前として発足以来続けている。但し、仲間として認められる者には連絡はするものの、音信不通者は退会したものとして連絡を絶つ方式は、これからも続ける方針で、意欲ある奉仕の心篤い方々の協賛を願っている。この世は自分丈けのものではなく、広くみんなの暖かい気持で支え合っているという理念でいきたい。

 

 現在山彦協賛者は関東、関西を含め約50名である。

 

初代世話人代表は、〒647-0052 和歌山県新宮市橋本1丁目4-11 玉岡憲明  0735-22-5671)

平成25年4月から世話人代表が交代し、相談役・庶務・会計(事務局)の新組織にする。

 ◇元名誉会長 :故 塩川正十郎氏(H27.09.19死去、93歳))
 ◇名誉会友  :茂原 治(泉南市・もはらクリニック院長)
 ◇相談役   :玉岡憲明(前世話人代表)
 ◇世話人代表 :川島 功(〒519−5701 三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿514  0735-32-1515)
 ◇庶務・会計(事務局):沖崎吉信(〒647-0042 和歌山県新宮市下田1-2-4 0735-22-4558)
 ◇世話人   :山上皓一郎、川島 功、沖ア吉信、前田 正、生熊敏男、瀧本昭太郎、
         村吉光夫、乾 克己

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