新宮山彦ぐるーぷ NO.1622
尾鷲古道「コブシ嶺」山行報告
山 名  大台ヶ原尾鷲道 コブシ嶺(三等三角点 雷峠1) 堂倉山
実施日 2012年5月27日(日) 晴時々曇下山後雨 最高最低 気温12℃ 24℃ 湿度33% 66%
参加者 川島 功 沖崎吉信 前田 正 濱野兼吉 生駒純子(濱野氏同行) 畑林清子 榊本真仁
   瀧本昭太郎 竹中雄三(瀧本氏同行) 田丸茂彦 佐藤優美子 乾 克巳 (男9名女3名 計12名)
コース往路 尾鷲古道を忠実に行く
ビジターセンター9:05〜尾鷲辻9:32=9:36〜堂倉山出合い10:00〜白サコ10:13〜山抜け10:50〜尾根合流の鞍部11:05=11:12〜地倉山の尾根11:35〜地倉山11:42〜コブシ嶺11:56
復路 地倉山から尾根道をとり途中古道と錯綜するが白サコより堂倉山経由で下山
コブシ嶺13:05〜尾根合流の鞍部13:40〜P1362山抜けの尾根14:00〜白サコ14:20〜
堂倉山14:40=14:50尾鷲辻15:25=15:33〜ビジターセンター16:03

 新宮山彦ぐるーぷの活動は、山行活動よりも専ら行仙小屋を中心とした南奥駈道の道保全のポランティア活動が主体となっている。その活動の崇高さは誰もが認めるところであり、また我々もその活動なくしては南奥駈道の安全は保てないものと認識している。新宮山彦ぐるーぷでは開拓期からこれまでに延べ何人の人達が汗を流したことだろう。いま現在、開拓期から在籍されている方が何人居られるでしょうか。すでに多くの方が鬼籍に入られている。先人達の苦労に報いるためにも新宮山彦ぐるーぷはこれからも健全な活動を続けていかなければならない。若い人たちの勧誘も必要です。そして何よりも私達が楽しくなくてはなりません。そう言った意味で今回純粋な山行計画を立て実施しました。

共通の価値観を持ちよろこびを共にすることは何にも代えがたいことだと思っています。


 大台ヶ原ビジターセンターに9時15分集合に間に合わせるため、奈良を6時に出発した。桜井駅6時51分着で大阪から来る田丸氏を出迎えた。
 日曜日の早朝ということもあり車は順調に走り8時には西原の入口を通過して、8時25分にビジターセンターに到着した。さすがにまだ誰も到着していない。川島さんに電話を入れるとドライブウエーの信号を通過したところだという。ほどなく和歌山からの瀧本さんと共に到着した。続いて濱野さん榊本さんも到着され全員が9時前に到着した。初めての方も居られるので簡単なミーティングをすることにした。本来CLとSLを決め役割を明確にする必要があるのだが、計画の立案者として今日の世話役は私(乾)が担当する旨、皆さんの同意を得て進めることにしました。

 沖崎さんから大台ヶ原開拓期に尽力された、土倉庄三郎についてエピソードを話され興味を持った。大滝の河畔に「土倉翁造林頌徳記念」の文字が刻まれた日本の造林王と聞く。独自の「土倉式造林法」をあみだし国内はもちろん台湾や海外までに広め莫大な富を得て、1/3は国のため、1/3は教育のため、1/3は自己の仕事のためにを生涯貫き、同志社大学、日本女子大学の設立に尽力されたそうです。今日歩く尾鷲道もかってはトロッコ道、木馬道(きんばみち)が敷設されていたそうだ。

よく整備された道を約30分で尾鷲辻に到着。ここで念のため、地形図を整置しコンパスを合わせることにした。尾鷲辻からなだらかな傾斜を九十九折れに降っていくが、これまでとは打って変わって、時代から取り残された太古の道が現れる。
 かって尾鷲までの街道があったのだろう、古道特有の石畳が見え隠れして敷かれている。あるところでは特有の豪雨に流され、あるところでは朽ち果てた大木に阻まれてルートが遮断する。多く
のハイカーが道なりにできたけもの道に紛れ込み道迷いとなる。このルートは地形図とコンパスを正しく使えない者は立ち入っては危険な状態になる。昨年に来た時に付けた目印のテープや紐がそ
のままの状態になっている。
 新たに付け加えられたテープや紐が多く、迷う
心配はなさそうである。
 ビジターセンターから約一時間の10時に白サコの広い鞍部に到着した。快調な滑り出しである。歩きはじめは皆ゆっくりした歩調で、周回コースでは味わえない大台ケ原の大自然を楽しんでいるように思えた。しかし、目指すところはまだまだ遥か彼方にある。のんびりしていては行きつかない。次第にピッチも上がって来たが、白サコを過ぎると至る所に満開になった山ツツジが現れた。おまけにシャクナゲのトンネル、シロヤシオも咲いている。ところどころアケボノツツジも現れた。皆、携帯のカメラを出し思い思いに撮影をしだした。しばらく休憩とした。



 尾鷲道は三重県と奈良県の県境尾根に沿って作られている。ほとんどが尾根に沿っているので尾根道を行く方が迷うことは少ない。しかし、今回の山行は忠実に尾鷲古道を行くことにした。それは先人達が築き上げた知恵の結集がこの道にあるからである。尾根は常に強烈な風雨に晒され削り取られてしまう。埋設された三角点の標柱が何十センチも浮き上がっているようなところもある。様は表土が削られ流されてしまった結果である。それでも尾根に叩きつけられる強烈な雨水は濁流となり斜面を流れ、山抜けが発生する。時には深層崩れとなり山ごと流れさることもある。
 
規模こそ小さいがP1362手前の山抜けに出た。ここは昨年に自分で決めた時間が過ぎたので撤退した場所である。思い切って尾根を巻くことにした。尾根に出ると太平洋の湿った風が心地よく吹いていた。ここでもしばらく休憩とした。小さな崩えがいくつかあり、しばらく歩くと地倉山の尾根が見えだした。30分程で到着した。ここでもよく道に迷うらしい。 道なりに行くと反対方向のP1402鋒に行ってしまう。尾根に上がると全員から感歎の声が上がった。眼下に竜口尾根から延びる荒谷山、その下に東ノ川から流れ込む坂本ダムの湖面が輝いている。ある者はアルプスの様だとかカナダの山の様だとか思い思いの景色を連想している。私はモナリザに描かれた背景のように思われた。

ほぼ90度の角度で南に進路をとり、半ガレになった斜面を登りきるとそこが地倉山である。東斜面と違って西斜面は急峻であり眺めが良い。
 今までの疲れもどこかへ行ってしまったのか、急に皆元気になった。ほどなく雷峠の鞍部を通過すると目の前にコブシ嶺の姿が現れた。
11時56分の到着である。
 コブシ嶺を竜口尾根から見ると大きくガレている。ガレは西斜面に集中している。叩きつける豪雨と急峻な斜面を駆け上がる風雨で深層崩れを起こしている。いずれはコブシ嶺も崩れさる運命なのかと思われた。

 山行計画が決まった時に、玉岡さんに了解をとり沖崎さんに無理を言って新宮山彦ぐるーぷの山名板を作って頂いた。今日は沖崎さんが担いで上げて下さった。沖崎さんに申し訳ないことをしたと少し反省した。私は記念の穴を掘るために昨日真新しい軽トンガを買って持参した。岩や石ばかりだと思っていた土地が以外にもよく肥えた土であった。かってこのピークも木で覆われていたのが想像された。 ここで一時間の昼食休憩をとることにした。


 尾鷲が眼下に見える。火力発電所の煙突も見える。尾鷲を眺めていると、榎やんは孫の運動会で来れなくて残念やなと思った。
 昼食が終わると川島さん前田さん榊本さん達が木組方面への取り付き口を探しだした。木組峠から木組谷を下り、薬師堂のある林道へ出るか、また古和谷林道から尾鷲に出るか。いずれにしても車がデポされておればその方が早いと思われたが、これまでの道のようにはテープが見当たらなかった。いつまでも名残惜しいが絶景をあとにして、帰路は瀧本さんの提案で尾根道を辿り、堂倉山経由で行くことにした。
私は尾根道は初めてだったが、流石に尾根道である。提案者の瀧本さんを後にして川島さん、前田さんと私が地図も確認せずにどんどん前に進める。ところどころ尾根道から古道が見えるので実に安心だ。それに堂倉山までは1400mの尾根が続く。行きは下りだったが帰りは登りと覚悟していたが、アップダウンも少なく白サコに辿り着いた。
行きは1時間50分掛かったが、帰りは約1時間35分と短縮出来た。



白サコで休憩をとり、だだっ広い堂倉山への道なき斜面を思い思いのコースで登った。
堂倉山へは20分程で到着した。
ここには三重県の電波中継局がある。山の中に行き成り人工物が現れると異様な感じがする。
誰かがコブシ嶺でドコモの携帯が入ると言っていた。この中継局のお陰かと思われた。堂倉山には新宮FCCの山名板しかない。記念の写真をこの山名板を囲んで撮ることにした。新宮FCCはよく見る看板だ。畑林さんに聞くとFCCの記号はフラワーカードクラブの略で、花札ばかりしていては体に悪いから山歩きをしょうとなったとか。事実であれば素晴らしグループだと感心した。
急に気温が下がりだし肌寒さ感じた。その時真近に雷が鳴り響いた。と、同時に佐藤さんのキャーという悲鳴が聞こえた。雷に怯えたかと思ったらヘビが出たらしい。聞けばシマ蛇とか。ヘビの方はもっとビックリしただろうと思った。

堂倉への登りは山頂を目指して気楽に歩けるが、下りは忠実にテープを拾わないととんでもない処に行ってします。堂倉を下ると行ききた古道に出合い。ここからは古道を行くことにした。

15時25分に尾鷲辻到着。
ここまでの間一人の人間にも合わなかった。尾鷲辻では何組かのパーティーがたむろしており賑やかだった。我々が場違いなところから到着したので、皆感心をもつて眺めていた。
ここからビジターセンターまでは30分の道のり。
よく整備された道をさして疲れた様子もなく、皆足早にセンターを目指した。
 センター到着は丁度16時だった。
 佐藤さんが温かいコーヒーを全員に淹れてくれると言う。
 休眠中の売店のテラスで頂いた。飲み終わると同時に雨が降りだし解散となった。
 絶妙のタイミングであった。暑くもなく寒くもなく、そしてガスることもなく俯瞰もできた。
 車に乗ると大粒の雨となりガスも張り出した。
 今日はご褒美の様な一日であった。


楽しい一日をありがとうございました。
 誰もが感動した一日であったと思ったのは、私の一人よがりだったのかと少し心配になった。
 台高、大峰は素晴らしい山々が沢山あります。
四季折々にこのような企画ができれば良いと思っています。またの機会があれば是非参加したいと思っています。
 
報告文 : 乾 克巳
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